日々のこと

浜田真理子を聴きながら

mariko.jpg


今、彼女の新譜「夜も昼も」を聴いているのだけれど、なんだろう、このうち震えるような切ない気持ちを伴う感動は。

音数もぐっと抑えていて、一音一音がとても大切に感じる。
彼女の声。歌詞。

声、音が染み入るとは、このようなことを言うのだろうか。

彼女は基本的に哀しいのだけれど、それがこちらの心にもひしと伝わってきて、共鳴する。

彼女のブログは、過剰なくらいの言葉で埋め尽くされているけれど、こと音楽に関して言えば、選び抜かれたもう削りようのない言葉が、音が、胸に突き刺さる。

切ない。哀しい。

彼女のこの音楽性は、ファースト・アルバムの「mariko」の時もそうで、ひっそりと、ひっしりと、そしてそっと聴き手にそり寄って来るもので、これは稀代のシンガー・ソング・ライターの何よりの証なのではないだろうか。

今回のアルバム、大友良英のプロデュースということで、実は結構やかましいものになるんじゃないか、というかぐちゃぐちゃになるんじゃないかという懸念もあったのだけれども、全くの杞憂に終わった。

寧ろ彼女の音楽性が、いい意味で拡がって、一回りでかくなった印象を受ける。

ピアノの弾き語りから、そして最小限のアンサンブルへ。
それは必然を感じる豊穣さを併せ持つ。
美しい音楽だ。

大友はそういえば、「青い凧」とか「blue」とか、サウンドトラックにも素晴らしい作品を残していて、特に「青い凧」は俺の大好きな作品の一つなのだけれども、その作品の特徴をよく捉えて、見事に映像を音にする。その才能が、今回の浜田真理子の作品の制作にも遺憾なく発揮された感が強い。

それにしてもこの作品、素晴らしい。
スタジオ作品としては4年ぶり3作目。
98年のデビューアルバムには、それは深い衝撃を受けたけれども、今回の作品、それに優るとも劣らぬインパクトを持つ。

音楽が豊かであること。
イメージが膨らむということ。
音に聴き入るということ。

そうした可能性をこのアルバムは持っていて、それは巷に溢れかえる流行歌にはない、本物の衝撃を秘めている。

あらためて、彼女の素晴らしさを再認識しており、そして音楽の可能性も、まだまだ失われていないということに、気付いた。

それはこのような、朴訥として、飾り気もないけれど、けれども人の心を揺さぶらずにはいられない、彼女の音楽にこそある。

けばけばしい装飾など要らぬ。
彼女の声が、音が、それを証明している。

時間をかけて丁寧に作った音。
これは彼女の必然なのだ。


俺はなにか、今とても切ないけれども、幸せな気分の中にいる。



彼女のHPはこちら
ブログはこちら


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  1. 2006/11/27(月) 01:11:01|
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本日購入のCD

給料が出た!
と言う訳で、お小遣い。
早速渋谷へ。

Tom Waits / Orphans

tomwaits.jpg


浜田真理子 / 夜も昼も

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Rudresh Mahanthappa / Codebook

rudresh.jpg


Nels Cline / New Monastery

nelscline.jpg


以上四点が本日の戦利品。
まだまだ聴きたいのがたくさんあるのだけれど、これ位で勘弁してやる。
カネホシー。

トム・ウェイツは、これは完全限定生産品で、三枚組。
新曲30曲を含む54曲入り。
感涙ものです。
まだ一枚目の「Brawlers」を聴いているところだけれど、いいです。本当に。
これは素晴らしいアルバムの予感。
迷わず「買い」。
マーク・リボーとかも参加している。

浜田真理子は、大友良英が制作を手掛けた話題作。
まだ一曲目しか聴いてないけど、鳥肌ものの良さ。
これもまた、秋の夜長の楽しみが増えた。
聴き込もう。

Rudresh Mahanthappaは、良質なフリー・ジャズを提供するレーベルPi Recordingsの新譜。
ストレート・アヘッドな感じで、かっこよい。

Nels Clineの新譜は、Andrew Hillの曲をカバーしたもの。
ジャケが「Point of Departure」をもじったもので、かっこいい。
丸眼鏡のサングラス。
最後の曲で爆発する。


さて、実はまだ喪中の葉書を書いていないのであり、今晩、トム・ウェイツを聴きながら、手を付けようと思うのだった。

しかし今年の秋は暖かいな。
コート着て渋谷行ったら、暑くて仕方なかったよ。
冬も暖かいのかな。



11/26追記
トム・ウェイツのこのアルバムの一曲目、「Brawlers」の「Lie To Me」は、しっかりYouTubeにアップされています。
こちら
かっこいいので、是非。


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  1. 2006/11/25(土) 19:42:22|
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焼き鳥屋

仕事を無理矢理終わらせて、じゃちょっと飲み行こうかということになったのはいいのだけれども、飲み始めたのが23時前なので、30分ほどで先に帰ることに。
お先に失礼。職場の皆様。

なんだかあんまり飲んだ気しないなあ。
焼き鳥結構頼んだのに、まだ二品しか来なかったし、でもまあこんなものか。
ってことはないよな。

もう少しこれからは早めにいきたいものだ。

もう一人、一緒に帰る同僚がいて、ちょっと話したのだけど、やっぱり親父さんが癌を患っていて、いろいろと大変そうだ。

所謂ホスピスで、緩和療法。

実際他人事ではないので、話はよく分かる。

人それぞれ大変なんだよな、と改めて思う。

しかし癌というのは何とかならぬものなのか。
転移がひどければ、あとは緩和療法だけだし、そうでなくても、抗癌剤だって、どこまであてにできるものかわからぬ。

医学は進歩しているけれど、治せない病気もますます増えてきているような気がしてならない。

一体本当に何が治せるのだ。

ただの対症療法ばかりで、予防医学云々と言っているけれど、どこまで実践できているやら。

風邪だって結局のところ本人の自然治癒力がモノをいうわけで、薬で治しているわけではない。
特効薬はないのだ。

せめてやれることは、出来るだけいい医者にかかること。
結構これは大きい。

どこの医者でも同じ、というわけには最近いかなくなってきたと実感している。


それはともかく、俺はレバー串を食いたかったのであり、つくねも食いたかったのであり、モツの煮込みも食いたかったのであり、食えないとなると、ますます食いたくなるのがヒトというもので、俺は無性に焼き鳥が食いたい午前三時。

家にはマスコットぬいぐるみのスティッチ君が、ギターを抱えて、青色になってちょこんとピアノの上に座っているのであるが、妙に気になる。

お前、黙ってにこやかにしてないで、なんか弾け。

などと、でかい目を見ながら思うのであるが、スティッチ君は、耳がでかいなあ。

耳のでかい人間は、大物になると昔よく言われたが、俺もそうして言われたものだが、いつになったら大物になるのだろう。
死ぬまでとりあえず待ってみるか。

スティッチ君は大物だ。


明日あたり、そろそろ喪中の葉書を書かねばならぬ。

親父の屍を乗り越えたいものだが、お父さん、僕はまだまだ、まだまだですよ。

今に見ていてください。
必ず貴方を乗り越えて見せますよ。

それが残された者の死者への餞というものだ。

へへへ。やらなければいけないことが、たくさんあるなあ。


鶏がこけーと鳴く前に、眠るとしよう。

家のカメは、鳴かないからね。

無口な同居人。


人間は、喋るのが好きだな。

一人でいても、誰かにメール。


そういう俺も、一人、ブログに想いを託す。

何を託しているのだろう。


テレパシーでも開発すれば、これは人間の本望ではないかと思ったりするのだった。


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  1. 2006/11/23(木) 03:31:15|
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雨の日曜日

雨の日の猫はとことん眠いというけれど、俺もまた一日中まどろむ。
ミンガスを聴いては眠くなり、山中千尋を聴いては眠くなり、埴谷雄高を読んでは眠くなり。

「エロ・グロ・ナンセンス」の映像サイト「ザイーガ」などを見ては、ほけーとしていたのであるが、そこで「さわやかオナニスト」なる映像に釘付け。

街頭インタビューに明るく爽やかに屈託なく答えるこのおねーさんは、感動ものである。
学生時代、飲みの席で、よくこの手の話を女性に持ちかけたのだけれども、ここまであけすけと話す子はいなかったなあ。
日本の未来は明るい。

俺は元来ストレートで、直球勝負なのだけれども、いまだに遠まわしな言い方をする奴は苦手で、はっきり言えよこの野郎という感覚になる。
みんな大人なのね。

このおねーさん。かわいいし、こういうの、明るくて素直で開放的とでもいうのだろうか。
彼女に幸多かれ。

ところで、YouTube探検などもして、Marc Ribotのアルバート・アイラーをカバーしたSpiritual Unityのライブ映像とか、Peter BrotzmannとかSonny SharrockとかBill Laswellとかのユニット「Last Exit」とか、やっぱりPeter BrotzmannとHan Benninkの映像とかを見入ったりする。
とどめはDerek BaileyとJohn Stevensの映像

やっぱりフリー・ジャズは面白いなあ。

全然関係ないけど、Non Bandの映像はこちら
80年代日本パンク・ニューウェーブの黎明期の中核バンドの一つ。
大好きです。

こうしてのんべんだらりと本日過ごしたわけで、最近の我が家のキー・ワードは「リラックマ」なのだけれども、実にリラックマな一日であった。

これからまたコーヒーでも飲みながら、だらだら過ごそう。

嵐の前の静けさか?

いやいや、順風満帆ですよ。

イメージ、イメージ、イメージするのだ。

そうして、本当にそうなるらしいよ!


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  1. 2006/11/19(日) 21:22:28|
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スーパーモデル死ぬ

21歳のスーパーモデルが摂食障害で死去したそうで、この記事が鮮烈に印象に残る。
記事はこちら
写真はこちら

アルマーニとかのトップ・ブランドのモデルやってたみたいだけど、死んじまったら元も子もない。
172センチで39キロか。

可愛くても、亡くなってしまったら、もうどうにもならぬ。
無念だ。

食べて吐いて、また食べて。
タコのロリータ順子の歌を思い出す。
彼女もまた、そういえば死んでしまった。


ところで俺は生きているが、今日一日は、やはり無念だったのだが、この記事を見て、実にやるせない気持ちになる。

俺は今日、久々に全てが上手く行かず、またこれはもう本当にまずいなあ、このままいけば本当にクビだよなあなどと本気で思っているのだけれども、しかしおそらく死ぬことはないのであり、帰りの電車で落ち込みながらもふと目をやったスポーツ紙にこの記事を発見したわけであり、21で死ぬのは早すぎないか、と思うのであった。

このモデル、アナ・キャロリーナ・レストンは死んでしまった。
そして無様な俺は無様にも生きているのだが、果たしてそれでいいのか。
これは不条理ではないのか。
そしてこの世は不条理だらけであるから、条理の世界は他界にしかないのだろうか。

などと無限ループしながらも、それにしても俺は落ち込んでいるのであり、それは今日一日落ち込んだからといって何とかなるものでもなく、もうどうしようもなく取り返しが付かないような気もするのだが、だからといって、それが何なのだ。

死人に口なし。

美女が死んでしまって、これはとても悲劇なのであるけれども、俺のことなどどうでもよい。

生きているうちが花かもしれぬ。

苦しみもまた生きる喜びとでも言いたいのか。馬鹿野郎め。

しかしモデルというのは過酷な職業だ。
花形であるための猛烈な試練。
それは死と隣り合わせ。

美人薄命とはこのことか。

それは俺などのような凡人には全く想像もつかぬほどの壮絶な日々が待ち受けているのであり、そして彼女は死んでしまったのである。

モデルというのは何のモデルなのかよく分からないのだけれども、少なくとも健康で幸せな人間のモデルではないような気がする。

ならば何をそのような人間に憧れてそのモデルに憑かれるように引き込まれるのかといえば、「美」なのであるけれども、「美」とはそうすると健康と幸せとは縁遠い、ただの幻影か。

幻に憑かれて疲弊するのだ。

美学の何たるかも分からぬ俺はとやかく言えた義理ではないけれども、俺の美学はそれはそれで持ってはいるが、イメージ通りにはいかぬこの日常に憤懣やるかたなし。

かっこよくいきたいものだが、かっこよく行き着く果ては、なんだろう。
そもそも初めから自転車にすいすいと乗れる人間がいないように、誰でも最初はかっこ悪いところから始めるのであるが、延々と自転車に乗れぬ人間は、どこまでその無様さを晒し続けるべきものなのか。

死ぬまで晒し続けることもまた、これも一つの美学なのか。

そのようなことを考えながら、吸い続ける煙草はセブンスター・ライト。

スーパーモデルに合掌しつつ、俺は今日もまた、惰眠を貪り続けるのだ。
死ぬまでかっこ悪く生きてやるよ。
でもその先には、眩しいくらいの一条の光が差し込む、その扉の向こうに、いつの日か行けることを固く誓って。

堕天使は、また天使になることを夢見るのだろうか。


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  1. 2006/11/18(土) 02:14:43|
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連日終電

別にどうということはないのだが、連日終電。
仕事があるのはいいことだ。
今週は多分このような感じでいくのだろう。

本部の人間と接触する機会が最近多いのだけれども、さすがに彼らは仕事が出来る。
しかし俺が出来ないはずがないと言い聞かせ、彼らに追いつき追い越せと自身を鼓舞する。

明らかに何かレベルが違うのがわかるので、こういう機会は貴重だ。
俺は彼らに感謝しつつ、今こそパワーを発揮するのだと独り思う。

ちょうどいい目標ができた。
人間何かしらの直近の目標が目の前にないとなかなか動かないし、肌でそういうのを感じるのはいいことだと思う。

頑張ろう。

ところで明日は、というか16日本日はボージョレ・ヌーボー解禁日。
別に普段酒は飲まないのだが、セブン・イレブンで予約してあるので、ちょっと楽しみだな。
酔っ払っちまうか。

ギター弾く時間とか本読む時間がなかなか取れなくなってきた。
CDも聴けないな。
ここが踏ん張りどころだから、少しばかり気合を入れる。

根性論じゃないけど、仕事に気合いとかやる気とか、やはり重要。
モチベーションが高くなければ、遅々として進まぬ。

とはいってもリラックマ。

ぼちぼちいこか。

目にモノ食らわしてやるから、ちょっと待ってろ。
俺はこのままでは終わらない。

そう言い聞かせ、眠りにつく。
沸々と沸々と。


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  1. 2006/11/16(木) 01:37:49|
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山中千尋のミニライヴ

outsidebytheswing.jpg

本日帰宅時にポストを覗いたら、新星堂からの封書が。
これはもしやと思ったら、やっぱりそうだった。
山中千尋ちゃんのミニライブご招待状なのだ。

ぱんぱかぱーん。

やったね!

ナマで見られる。聴ける。う、う、う、嬉しい。

しかし、何で平日なの?

行けねーじゃんかよ。


12月8日金曜日。
この日のために、俺は半日休暇申請すべきかどうか。

うむむむむ。

さあ、どうする、どうする。

とりあえず、風呂入って寝よう。

るんるんるるるるるん。

「る」ていう字、何だか変だな。

るるるるるるるるるん。

ゲシュタルト崩壊か。

まあ、当たっただけで良しとしておこう。
今のところは。

山中千尋の澤野工房時代のまだ持ってない、聴いてないCDを買おうと決意する本日深夜なのであった。


しかし今日は暖かかったな。
こういう日に限って、今年初めてコートを着ていたりする。

でも全然いいもんね。

山中千尋なのである。


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  1. 2006/11/15(水) 01:39:06|
  2. Jazz
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Gauze / Equalizing Distort

gauze.gif


結局のところ、日本のハードコア・パンクで、Gauzeに優るバンドを俺は知らない。
この彼らの2ndアルバムは、大傑作アルバムであり、おそらく今でもこれを越えるアルバムというのはないのではないか。

86年3月発表。
全く色褪せない。
それどころか、ますますこの作品の素晴らしさが、年月を経るごとに重みを増してくるのだ。

自主制作作品でありながら、廃盤になることもなく、今でもアマゾンなどできちんと買える。
このような作品は、滅多に無い。

俺のような、レコードも持っていて、CDでも持っていて、という輩は多いはずだ。

兎に角一曲目の「Pressing On」から、ラストの「言いなり〜Children Fuck Off」まで一気に聞かせる。

この途轍もない疾走感は並みのものではなく、また、ハードコア・バンドならどのバンドでもできるというものでもなく、このGauzeの、このアルバムだけが成し遂げたものであって、おそらくこの作品を凌駕するものはそうそう現れることはないのであろう。

まさに日本ハードコア・パンクの金字塔のような作品であって、それは例えばディスチャージやカオスU.Kやディスオーダー等の当時の英国パンク・バンド勢と何等ひけを取ることもない。
寧ろその一貫した音楽性、思想、スタイルを今でも貫き通していることは、彼ら英国勢よりも数段優れていることは、この今までのGauzeが歩んできた道程が、それを示している。
彼らのライヴ「消毒GIG」は、もう既に130回以上にも及んでいて、81年にバンドが結成され、そして同年から開始されたこのライヴも、そのタイトルが、もはや重々しくなる程になった。

Gauzeが結成されて25年が経った。
そして今でもGauzeは活動している。
そのなかでもこの「Equalizing Distort」は特別な作品であり、この作品を越えるものはない。

流行り廃りが多い音楽シーンにおいて、一貫してその姿勢を貫き通すことは並みではない。

一途にも、ひたすらにもわが道を貫き通すというのは、このGauzeの存在のようなことを言うのだ。
身をもって示すGauzeの存在は、でかい。

俺は思い出したようにはこのアルバムを聴き、そのかっこよさに今でも痺れ続ける。

バンドの最高の状態をさっと掠め取ったかのような一枚のスナップ写真のように、このアルバムは最高の状態のGauzeを詰め込んでおり、兎にも角にもまずはこれを聴けと言っておきたい。

俺の中で、パンクといえば、CrassとGauzeが、真っ先に出て来るのは、今でも変わらないし、おそらくこれからも変わることはないのだと思う。

俺は彼らのスピリットを貰うために、彼らの音を聴く。
実際に聴かなくとも、心の中で、鳴らせばいいのだ。

そうして、その疾走感を、力強さを、この俺の中に注ぎ込むのだ。

どこまでも突き抜けろ。


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  1. 2006/11/12(日) 23:31:10|
  2. Punk
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自動思考

Aという事象があると、もう心の癖で、Bという考えが無意識のうちに浮んでくるのが自動思考で、これがストレスを生み出す最大の要因でもあるらしい。

道端で知人に挨拶したのに無視された→俺は嫌われているとか、そんな考え。

でも本当だったらどうするのだろう。

仕事上でのちょっとしたミス→もはや出世はない、とかそんな考え。

でも本当だったらどうするのだろう。

人間というのは悲しい生き物で、本当にうんざりなんだという、厭世的な、マイナス思考の決めつけ。

でも本当だったら、どうするのだろう。

ともかく、自動思考を修正して、つまり心の癖を修正して、ストレスを溜めない快適な生活を送るために、コラム法というのがある。

要するに自動思考に囚われないで、別の考えもあるということを自分で気付かせて(適応的思考)、心の安定、気分の安定を図るのだけれども、ちょっと自分でもやってみたら、結構これが効く。

普段はこの手の認知療法的なストレス解消法は軽く斜め読みしていたのだけれども、思い立って今日一日やってみたのだった。

ふーむ。
人の心は、かくも簡単に覆るというか、気分が安定するものなのか。
不思議だ。
まあ、これが効くうちはまだいい方かもしれぬ。

パブロフの犬に、ベルが鳴っても餌ではないかもしれぬよと言い聞かせるのはおそらく至難の業で、これと同じように、人間の心の癖も、そうそう簡単に矯正できるとは思わぬ。

だいたいそれで本当にいいのか。
そんなに皆が物分りがよくなって本当にそれでいいのか。

そのような疑問を持ちつつも、自動思考矯正ノートを一冊こしらえたのであった。

果たして俺は、自動思考に陥らず、ストレスフリーな快適な生活を送れるのか。

あるいはストレスフリー過ぎて、ボケボケの人間に成り下がるのか。

何事も適度な匙加減が大切であって、なんでも極端に考えるから行き詰るわけで、こうしたコラム法も、適当に行うことによって、いい結果が伴うのだろう。

不快な気分が減る分にはウェルカムではないか。

しかしなんだか一種のロボトミーのような気もしない訳でもない。

でも別に人間が変わるわけではなく、考え方に幅が拡がるだけなのだから、これは成長する上ではいいことかも知れぬなあと、無理矢理納得させる。(適応的思考)

自分カウンセリングだなこりゃ。

こうやって皆、大人になっていくのだ。
いや、俺は大人なのだが、中身がガキだから、丁度いいのかも知れぬ。

果たして三日坊主で終わらず、一年くらい続けられたらたいしたものだ。

ところで俺は、音楽だけはずっと続いていて、これだけは飽きがこないのは実に不思議に思っていて、別に音楽がなければ生きていけないとは思わないのだが、面白くて仕方がない。

ただずっとこれだけは死ぬまで聴いたり弾いたりするのだろうと思う次第。

大友良英がプロデュースした浜田真理子の新譜がもう出ているのだけれども、早く聴きたくて仕方がない。
給料日まで我慢だなあ。

音楽といえば、パンク。
音楽といえば、ジャズ。
音楽といえば、ブルース。
音楽といえば、音楽。

こういうのも自動思考なのだろうか。

ストレスにならないから矯正する必要はないので放っておくのだけれども、境界が曖昧だ。

大体こんなんで本当に人の心まで変わるの?(決め付け)
付け焼刃じゃないの?(決め付け)
三つ子の魂、百までというよ?

ま、いいか。(適応的思考)

なんだか、俺の場合、ますます自分の都合のいいように解釈するようになって、本当に危険な時にも、ぬるま湯気分じゃないの?

ま、いいか。(適応的思考?)

まあともかく、どんと構えて、少々のことではびくつかない人間になれるのであれば、そのための努力は惜しまないですよ。

楽して生きられるのであればそれに越したことはないけれども、そうでないところがきっと、人生を面白可笑しく、そして哀しく、そして深みのあるものにしていると思うのだ。

どこまでも、生きていこうと思う。


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  1. 2006/11/10(金) 00:42:09|
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ダメダメな日々

どうにも最近ダメダメな日々。
いかん。
このままではいかんと思いつつも、今回も査定は悪そうだし、どうにも力が入らぬ。

残業というか、仕事にも身が入らぬ。
本日も速攻で帰宅。
さっきまで寝ていた。

デジタルにきりっと切り替えられればいいのだけれど、ずるずるとずぶずぶと。

俺がきりりとしなければ、妻にも申し訳が立たぬし、だいたい本当にこのままだと仕事の立場上やばいなあ。

今の俺は何も言うことが出来ぬ。

身をもって示そう。

ちょっとこれからまた軽く寝て、明日に備える。

明日こそきりりと。

這いつくばって、地べたを転げまわったとしても、何かそういう痕跡は残したい。

うむむ。
いや、まずい。

頑張るべ。

こういう時は、寝るに限りますよ。
ねえ、旦那さん。

って、誰だよ旦那さんって。

ああ、なんだ、俺のことか。

独り言だよ。

あははははははは。

お前、男なんだからよお、しゃきっとしろよ。

はい。いや、本当にその通りですよ。
ダメダメいってても、ますますダメダメですね。
この負のループ現象をどこかでがちりと断ち切らないと大変なことになりますよ。

転げ落ちていくその前に、ここでしっかり踏みとどまりましょう。

ライク・ア・ローリング・ストーン!!

いや、だから転がっちゃダメですよ。

わかってるよ。
こういう時は、寝て、気分リフレッシュ。

全てリフレッシュ。

カリフォルニアの青い空のサンキストレモン。
滴る水滴。
架かる虹。
白い太陽。
真夏の光線。

すがすがしく、いきたいものだなあ。

すかっといこう。

スカでも聴くか。
スペシャルズは、最高だ。
セレクターも好きですよ。

からんからん。

空き缶蹴飛ばし、どこまでも、飛んで行け。


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  1. 2006/11/08(水) 03:26:02|
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土曜日のこと

相変わらずむやみに人が多い渋谷のスクランブル交差点。
高校の友人に言わせれば、「毎日が鏡川祭り」なわけで、一体何処から来て、そして何処へ行くのか。

そのようなことを知る由もなく、しかしながらセンター街に入ってすぐのカレー屋「リトル・スプーン」のまあまあうまいカレーなどを食いながら、隣の女の子二人組の爆発した髪が銀色、顔は真っ黒で、さながらどこかの原住民、いや宇宙人なのであるが、刺青入れるのどうのなどというその他諸々ほわほわした会話などを聞きつつ、ここの楊枝は透明なプラスティックで面白いなあなどと感じ入っていたのであった。

俺はハンバーグカレーが好きなのである。

ポイントで溜まったHMVカードで、念願の「Junior Wells/Live at Theresa's 1975」を安く購入。

juniorwells.jpg

ディープな世界がたまらない。
一頃ブルースにどっぷりとはまり、戦前ブルースから戦後シカゴブルース、デトロイトブルース、その他諸々一通り聴き狂ったことがあるのだが、一度はまるとなかなか抜け出せないのがブルースの世界。
そういえば、俺は何でもはまると抜け出せなくなるな。

このアルバム、リード・ギターはフィル・ガイで、即ちバディ・ガイの弟である。
なるほど。
音質抜群。
また当分はまることになる。

そのような訳で、俺はそういうはまりやすい性格なので、間違ってもクスリには手を出してはいけない。
人生が破滅する。

ジョン・コルトレーンは見事にヘロイン中毒から脱したのであるけれども、その壮絶さと彼の音楽性、ドラッグの関連性を取り上げているブログがあって、非常に面白い。

「ジョン・コルトレーン John Coltrane」

なかなかに読ませるブログで、それにしてもクスリは怖い。
しかし最善の断薬及び再発防止策としての、「学習」による快楽というのは面白い。
俺も純粋に勉強して学習して、ドーパミン出しまくって、ナチュラル・ハイの世界に没入。

あらゆる依存を凌駕するものとしての「学習」。
人間、勉強して学び続けることは大切なのだ。
これは快楽だというのだから、俺も「学習」。
これにはまれば、偉人になれるかな。

それにしても、渋谷のハチ公前に、電車が設置されていたのだった。
電車モニュメント。
深緑色なので目蒲線の電車かと思ったら、これはどうも初代東横線の電車のようだ。
窓ガラスとか、まだ綺麗だったが、これは格好のストリート・ポップ・アートの標的にされるような気がしてならぬ。

と思ったら、ここは青少年の育成拠点になる予定なのね。
失礼しました。
記事はこちら

きっと落書きはこれからもないのだろう。
あっても面白いけれども。

そういえば、ハチ公だって、ピンク色になったり、青色になったりしないし、そんなことを考えると、日本はまだまだ治安がいいし、平和だ。

自爆テロの心配もない。

これは幸運なことなのであって、そうであればこそ、我々はとりあえず感謝しなければならぬ。

しかし東急百貨店東横店の化粧品売り場とか、婦人服売り場とか、女だらけだな。(当たり前か)

ぼけとしつつも、そこにいるだけでなかなかに楽しいのであるが、だんだん体調が悪くなってくる。

デパートの中というのはそもそも空気が悪いのであって、俺は非常に苦手なのであった。

文具の伊東屋があるのであるが、俺は何が嬉しくてこんなに人が多いのだろうと不思議になる。
老舗の一つであるけれども、丸善の方が俺はいいなあ。

結局ロフトで来年の手帳を購入。

なんだかかっこいい手帳。ピカソとかヘミングウェイが愛用してたという「MOLESKINE」。

これで俺もピカソだろうか。
などと頭の悪いことを考えつつも、今年も残すところあと55日となった。

年頭に誓った電車で音楽聴かないは守られているものの、読書するつもりが、半分は寝てばかりなので、本当にこれでよいのだろうか。
素直に聴くべきではないのか。
単純に音楽を聴く時間が減っている。

まあいい。
年初に考えよう。

スクランブルでスクランブル。
昼は生姜焼きで夜はカレー。
ブルースにジャズにロック。

昼は仕事で夜は睡眠。

煙草とコーヒー。
最近間食。

ギター。ギター。
最近やっと指が硬くなる。

今の俺の存在を、輝かさせてもらっても嬉しくない。

もうちょっとばかり努力した後にお願いします。

でも破魔矢と白蛇と猿の置物の前で、毎日お祈りすることにしたのであった。

ひとつよろしくお願いいたします。

君々、信仰心は、案外大事なのだよ。


ジュニア・ウェルズとか、マジック・サムとか、ロバート・ナイト・ホークとか、ちょっと真面目にギターのコピーを練習。

ドーパミン出るのかな。

ところで先日、もはや聴かないであろうCDを百枚ほど売る。
でもあまりいい気分ではないな。
何故だろう。

遮断機の、切断遮断。(Phewの歌詞です)

身をもって示す。

内面の表出が外面だとして、あるいは外面は内面の現われだとして、そうとなれば、俺の内面と外面のスクランブル信号にでもかかったようなこのねじれ具合をなんとかせねばなるまい。
とはいうものの、俺の内面など、外面とどう折り合っているのか自分でもよく分からぬから、一度天ぷら蕎麦でも食いながらじっくり考えようと思うのだった。


労働 学習 生殖 睡眠 (スターリンの歌詞です。「革命的日常」)


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  1. 2006/11/05(日) 23:37:18|
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「泣きながら生きて」

フジのドキュメンタリー「泣きながら生きて」をなかば泣きながら見る。

中国人の三人家族の話なのだけれども、父親は娘の為を思えばこそ、日本に結局不法滞在十五年。
3Kの仕事を中心に一人ひたすら働く。
妻も上海で働き続ける。
娘はそのようななかで無事、ニューヨーク州立大学に合格。
医師を目指す。

上海、東京、ニューヨークに家族は散らばりつつも、深い愛の絆に結ばれたこの家族は、結局のところ幸せである。
簡単に言ってしまえばそうなのだけれども、上海発、東京経由ニューヨーク行きでの、二十四時間とか、七十二時間とか、ほんの僅かのトランジットを利用して、東京で会う八年ぶりの父親と娘、十三年ぶりの夫婦のシーンなどは、やはり感動的だ。

どこで間違っても不幸のどん底に陥ってしまうのだけれども、力強い精神力、不屈の魂が、それを感じさせない。
父親の、東京での不法滞在時における境遇、仕打ちは、想像に難くないのだけれども、黙々と働き続けるその姿に、畏敬の念すら覚えた。

俺などまったく甘っちょろい。

物凄い家族である。
娘も期待に応えて医師になる目処までたってしまうところが凄い。

プレッシャーに押し潰されない力強さは何処から来るのか。

余程少々小金持ちの我々の方が、不幸であるように感じた。
子供も、日本人の方が不幸な境遇にあるような気もする。

愛情を与えること。そしてそれを本当に行動で示すこと。
十年も、十五年間も。何処までも。

その愛情を受けること。
そして育っていく。生きていくということ。
心から愛されていると実感して、そして生きていくということ。

生活は苦しく、肉体的にもきつく、それでも道から外れないで生きていく父親。
それを離れたところから支え、信じていく妻。
その愛を受けて育つ娘。

十年に渡る取材なので、制作側も精神力を要求されるのであるが、非常に丁寧な落ち着いた作品となっていて、なかなかに静かなる感動が拡がっていく。

重いテーマだし、そもそも十五年という年月が、一つの生き様を物語っていて、強烈なドキュメントだった。

「人生は、なかなか捨てたものじゃない」

父親は日本の去り際にそう語る。

「私を支えているものは、未来への希望」

娘はニューヨークへの旅立ちの前にそう語る。


そう思えるこの家族を、羨ましくもあり、凄いとも感じ、そして、我々日本人が失ってしまっているものが、ここにあることを強く思った。

俺はどこまでこの父親のような人間に近づくことが出来るのだろう。
苦労を苦労とも思わず、ひたすら家族の為に働き続け、決して腐らず、リヤカーを引いて、工場で働き、そして朝から晩まで働き続ける。

これも一つの生き方だが、その不屈の魂は、万人が持つことが出来ない凄みがある。

「パンクスとは、この父親のようなことを言うのだ」と、妻は言っていたが、そうかも知れぬ。

俺はどこまで真剣に生きているのか。

Charles Gayleのアルバムを聴きながら、俺はそんなことを考えた。

誰もが真剣に生きている。

俺は甘すぎる。

でっかく、いこう。


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  1. 2006/11/04(土) 01:17:56|
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